SMテレクラを使ったSMテレフォンセックスに耽溺しているということがバレたならば、あらゆる社会的信用を失う可能性があります。
しかし、この「誰にも言えない変態性欲である」という後ろめたさや、社会的信用喪失のリスクは、SMテレフォンセックスの快楽を強めてくれるスパイスでもあります。
もし、こういった後ろめたさやリスクが微塵もなかったならば、SMテレフォンセックスというものは、じつに味気ないありふれた快楽でしかなかったのだし、私をここまで魅惑しトリコにすることもなかったのではないでしょうか。
SMテレクラを利用する人間は変態です。変態と聞くと、「話が通用しないのでは」だとか「怖い」などといって身構える人がいるかもしれませんが、変態というのは、変態性欲を満たすプレイをしている時間以外は基本的には過剰なまでにまともな人間ばかりです。
理解しがたい変態行為であるSMテレフォンセックスをプレイするということ。これは、居酒屋などでするちょっと逸脱した「やんちゃっぷり」をアピールするためのアウトロー的な自慢話としては、少しばかり変態すぎる話題であるように思われます。
いや、なかには、「自分はSMテレフォンセックスを毎日プレイしており、女王様に言葉でもって射精管理され、手で触れられることなく声のみで尻の穴を開発されまくっているどうしようもないマゾ豚なのだ」ということを、日々の疲れを癒やしたりストレスを解消するために酒を飲むまわりの酔客たちの迷惑も顧みずに、むしろ、それをことさらに喧伝して演説するかのように、みずからの性的倒錯の様子や濃厚なSMテレフォンセックス体験談を大声でわめきちらす猛者もいるかもしれません。
ですが、多くの場合において、SMテレフォンセックスという性的倒錯の最終地点のような性行為は、「秘儀」として扱われているのであって、それは、世間の陽の目を浴びる場所でおおっぴらに話題にされるということはありません。
私としても、もし、会社の飲み会などで、そのような「SMテレフォンセックスの同志」とも呼べるマゾ豚の演説に立ち会ったとしたならば、じつに居心地の悪い想いにとらわれるに違いありません。
上司や同僚や後輩などに向けて、苦笑しながら「いやはや、ああいうのは困りますね。ハハハ」などといって、まるで自分はSMテレフォンセックスなどという単語を聞いたことがないのだ、ということを演じはじめさえするでしょう。
少なくとも「おお!同志よ!私もSMテレクラを愛好し、SMテレフォンセックスに興じる真性変態の仲間なのだ!ともに祝杯をかわそう!」などといって、演説をする彼のもとにかけより、その手を握りしめるというような感動的な出会いになることはありません。
心のなかでは「ああ、おれもだ。おれもまた、SMテレフォンセックスを通じて自分が家畜以下のマゾ奴隷であることだけが生きがいのどうしようもない変態だ。SMテレフォンセックスをしている時間以外に生の実感を得ることができないSMテレフォンセックスの中毒者だ!おまえと同じようにな!」と叫んでいても、ジッと黙り込むことしかできないのです。
それどころか「バカ!ここはSMテレクラじゃないんだぞ!わかってるのか?SMテレクラ以外の場所でSMテレフォンセックスという言葉を出すなんて愚かなことを、どうしてしでかそうと思ったのだ!おまえはもう終わりだ!」という非難の声さえ全身に充満することでしょう。
もちろん、その非難の声を届けた瞬間、私もまた演説者と同様に「SMテレフォンセックスの熱心なプレイヤー」であることがバレてしまうために、その言葉を飲み込み、胃酸で溶かしてやらなければなりません。
SMテレクラを利用したSMテレフォンセックスの成果により「演ずる」という行為にはある程度の自信はあるものの、こういった場面での私の「SMテレフォンセックスとは無縁の男性」としての演技は、それが演技であるということが露呈した瞬間に身を滅ぼすものであります。
ですから、私の「性的に健常な人間」としての演技、「良識に背く対象に眉をしかめる程度の健全な人間」としての演技には自然と熱が入ることになります。その演技は、あまりに熱っぽく、わざとらしいので、同席した同僚や部下や上司などに「こいつ、もしかしてSMテレフォンセックスのプレイヤーなのか?」という疑いを与えることになるかもしれませんが、「SMテレクラを利用してSMテレフォンセックスをしている」という事実を隠すために必死な私は、そのことに決して気づくことがないでしょう。
SMテレフォンセックスというのは、このような「露呈への恐怖」に支えられて快楽を強められているのです。薄い氷を一枚踏み抜いたが最後、SMテレフォンセックスプレイヤーの烙印を押され、社内を歩くだけで「ほら、あの人、あれよ、SMテレクラの」「ああ、うわさのSMテレフォンセックスね」と後ろ指をさされてヒソヒソ話をされる危険性を秘めているからこそ、SMテレフォンセックスというのはプレイのしがいがあるのです。
しかし、もっとも恐ろしいのは、「世界中の人間に自分がSMテレフォンセックスのプレイヤーであるということが露呈してしまい、その結果、道行くすべての人間にすれ違いざま罵倒され、嘲笑され、つばをはきかけられ、どつきまわされ、ゴミ箱のなかに顔面をつっこまれ、汚物を投げつけられる」というような状況に身を置くことによって得られるマゾヒスト的な快楽を思う存分に堪能したいという抗いがたい魅力に満ちた誘惑です。
私は、こういった、「起きている時間つねにマゾ豚として認識され、あらゆる人間から最底辺の人間だと思われたい」という誘惑とも日々戦い続けています。
ゾッとさせられたのは、仕事で使っているノートパソコンのなかのファイルを整理していたときに、パワーポイントを駆使した「SMテレフォンセックスの快楽と、その快楽から見えるビジネスの可能性」というファイルが出てきたときです。そこには、多数のSM画像を使ったSMテレフォンセックスの魅力を紹介するプレゼン資料がありました。
私には、そんな資料を作成した記憶がありませんでした。おそらくは、最高のSMテレフォンセックスをプレイした直後に浴びるほど酒を飲んだ夜に、SMテレフォンセックスの尋常ではない快楽の余韻と酒の勢いを借りて一気呵成につくりあげた資料だったのでしょう。
そこには、SMテレクラとはなにか、という基本的事項から、テレフォンセックスとSMテレフォンセックスの親密な関係、そして、SMテレフォンセックスという性行為の魅力や、実際の体験談、そして、それを私が従属する会社の新しい商品と結びつけるためのアイデアと提案などが、あますところなく記されておりました。
私は、この資料をプロジェクターからスクリーンに投影し、でかでかと表示された女王様の写真とキャプションの映像を前にして、滔々とSMテレフォンセックスの魅力について語ってプレゼンする私の姿を想像してみました。
学生時代に身に着けた雄弁術は、日々、SMテレフォンセックスという知的かつ痴的対話の応酬によってさらに鍛えられており、SMテレフォンセックスの魅力について語る私のプレゼンは、同僚や部下や上司に動揺を与えながらも、しかし、ぐいぐいと引き込んでいく力を持っていました。
女王様と自分との間にサドマゾ的な快楽を可能な限り多様に引き出す難しさに比べたら、ビジネスのためのプレゼンテーションなどははっきりいって赤子の手をひねるようなものであり、朝飯前なのだ、と言わんばかりの私の雄弁をまえに、ただ上気した顔を向けて熱狂のなかで耳を傾けることしかできない同僚や部下や上司たちを眺めて、私は、マゾ豚であるはずなのに、いっときのサディスト的快楽を実感します。
しかし、私の一方的なサディズム行為であるSMテレフォンセックスのプレゼンという蛮行は、そのプレゼン終了と同時に、私の全社会生活を破滅に導く方向へと舵を切り、それが雄弁であればあるほど取り返しがつかない形で、私の皮膚のうえに「SMテレフォンセックス愛好者」としての烙印を押すことになるのです。
私は、自分の雄弁が原因となってみずから墓穴を掘るかたちでマゾ豚であることを告白してしまい、「SMテレクラでSMテレフォンセックスをする快楽に耽溺するマゾ奴隷」という烙印を押される自分の姿と、その後の社内での迫害を想像するだけで、激しく勃起していました。
私は、「居酒屋で弁論をふるおうとする架空の同志のように、会社のプレゼンテーションの場でマゾ奴隷であることを告白するべきなのではないか?」という強すぎる誘惑に目眩がするほどの欲望を感じました。
このままでは、この酔狂としかいいようがないファイルを開いてプレゼンをするという想像は、現実化してしまう。その一歩手前の地点まで私は進んでいたと思います。
SMテレフォンセックスをプレイするのは、まさに、こういった「限界」がきたときに限ります。「こつこつと築きあげてきた社会的信用をたった一回の性的衝動ですべて失ってしまいたい」という欲望がピークに達し、それがあふれる直前にSMテレクラにコールし、女王様に調教される瞬間こそ、SMテレフォンセックスをプレイする最高のタイミングなのです。
このような綱渡り、衝動をこらえるためのチキンレースを繰り返していると、いずれ大失敗をおかすことになるだろうと思います。
居酒屋の架空の同志の演説や、想像上の雄弁なプレゼンは、「それを考えた」という時点で、いつでも「それを実際の行動としてなぞる」ことを私に要求してくるものでもあるのです。
おそらく、私が社会的信用を失う性的告白を他者に向けてぶちまける日はそう遠くないのではないかと思います。
その最終的なきっかけは、おそらく、私を調教するSMテレクラの女王様によって与えられることになるでしょう。私は女王様の命令には絶対に従うマゾ豚ですから、女王様によって「おまえはこれから自分の性癖を世界中に向けて発表し、その発表によってあらゆる人間から蔑まれなければならない」と命令されたならば、明日にでも命令通りの行動をとることになるでしょう。
ですが、いまのところは、幸か不幸か、SMテレフォンセックスをプレイする女王様からそういった直接的な命令をくだされることはありません。私の性的衝動はいますぐにでも溢れそうでありながら、その最後のきっかけだけは巧妙に回避されているのです。
ですが、時間の問題でしょう。私のようなペースでSMテレフォンセックスをプレイしていれば、いずれ、勘が鋭いセンス抜群の女王様が、私に「すべてを失い、罵倒されよ」という命令をくだすはずです。
私はその命令がくだされるのを恐れながらも、同時に、何よりも待望しているのです。この矛盾する欲動こそが、いまの私のSMテレフォンセックス熱を燃焼させ、プレイを過激化させ、他の追随を許さない変態性へと到達するエンジンになっているということは、まず疑いようがありません。