「Hey!siri!」という掛け声は、いまの私にとってはSMテレフォンセックス開始の合図である。スマートフォンのAIアシスタントという機能は私のSMテレフォンセックスに大きな変化を与えたのだ。
私はドMである。それも、真性のマゾ奴隷である。そんな私は、実際の肉体をサディストに嬲られることで快楽を得るリアルSMからマゾヒストとしてのキャリアをスタートさせた生粋のSMマニアだ。
マゾヒストとして開眼し、性の新たな扉が開かれてからというもの、SMにまつわること、自分のM気質を刺激してくれそうな新しいなにかには片っ端から飛びついていった。
であるからして、肉体を介さずにするSMテレクラでのみプレイ可能なSMテレフォンセックスに辿り着くというのは当然の流れであった。
私のSMテレフォンセックスは個室テレクラから開始されたものであるから、かなり早い段階からの骨太の変態テレクラユーザーであったことは間違いないだろう。
SMテレフォンセックスにはSMテレフォンセックス特有の、肉体同士でするSMとは違う快楽があったのは確かである。
そして、私には、「SMとSMテレフォンセックスはまったく別物なのだ」という割り切った態度で、「SMにできてSMテレフォンセックスにできないこと」を探りながら、そのSMテレフォンセックス特有の快楽の可能性を追求してきたという自負があった。
「肉体的な苦痛や緊縛などがない状態で、いかにしてSM的な快楽を得るか?」という行動の制限による快楽の追求と発見は、リアルSMという肉体同士のSMをプレイするときに、そのプレイ内容へとフィードバックしていった。
SMテレフォンセックスをするようになってからの私は、SMというプレイを根底から支えている精神性、SとMの関係性による権力勾配による快楽というものを、より強烈に理解し、それを内面化していくことに成功した。
私と肉体的なSMをプレイする女王様は、精神の最も深い部分に嗜虐を与えられることを欲する私の底なしのマゾ奴隷としての要求に戦慄し、そして、震えるような歓喜とともに私の肉体に暴虐の限りを尽くしたものだった。
極限のSM関係に到達するにあたって、SMテレフォンセックスという肉体的ではないSMの経験は、マゾ奴隷としての私を鍛え上げ、表面的な領域で終わるということがない深淵なるSMプレイ、神秘主義に接近するようなサドマゾ的快楽の領域への降下を準備したのである。
こうして、私はSMテレフォンセックスとSMという両輪を得て、マゾヒストとしての速度を早めていき、変態性欲の下り坂を向こう見ずに墜落していく滑走とともに走り抜けたのである。
しかし、SMテレフォンセックスがSMにフィードバックされたのであれば、次はその、「SMテレフォンセックスによって影響されたSM」というものをSMテレフォンセックスに影響させる段階ではないだろうか。
SMテレフォンセックスによって見つめたSMによって見つめ返されるSMテレフォンセックスを私は求めていた。これは、いわば、SMテレフォンセックスの反遠近法切り返しである。
だが、構造だけが見えていても、実際に「SMテレフォンセックスによって見つめられたSMによって、さらに見つめ返されるSMテレフォンセックス」というものを、自分の肉体を主体として実践する方法はなかなか見出すことができなかった。
それは、いまも見出すことができない。もしかすると不可能なのかもしれない。だが、ここに「賭ける」ことができなかったら、私はなぜ今まで自分がSMおよびSMテレフォンセックスをしてきたのか、まったくわからなくなってしまうだろう。
だから、私はそれが不可能な賭けであると知りながらも、それに賭けることをやめることがどうしてもできなかった。
「Hey siri!変態テレクラで女王様との回線をつないでくれ」といって「手」を使わずにSMテレクラにコールし、SMテレフォンセックスをプレイするというのは、現在の私のおそらくは失敗に終わる「新しいSMテレフォンセックス」のための実験である。
私は、SMテレフォンセックスが始まる前、私の自室にSMパートナーである緊縛師を呼びつける。そして、私は、SMパートナーの緊縛師による芸術的な緊縛でもって四肢の自由を奪われ、全裸でゴミのように転がされる。
SMパートナーの緊縛師は、私を縛り終えると、サディストらしい残酷な眼差しで私を見下ろし、身動きがとれない私を放置して部屋を出ていくという算段になっている。
それから、私は緊縛された肉体のまま、手が届かない位置にあるスマートフォンに向かって話しかけるのである。「Hey siri!変態テレクラで女王様との回線をつないでくれ」と。
こうして、肉体的緊縛による放置プレイの最中に、SMテレフォンセックスをプレイするという二つの中心点を持つ楕円形のSMプレイが開始されるというわけだ。
肉体上にほどこされた緊縛と放置によって一つのSMが進行しているなかで、同じ時間のなかにもう一つの別種のSMであるSMテレフォンセックスを言葉だけで立ち上げていくという作業。
この楕円形のSMテレフォンセックスによって、私は、「SMテレフォンセックスによって見つめられたSMによって、さらに見つめ返されるSMテレフォンセックス」というフィードバックに到達できるのではないか、と考えたのである。
それがフィードバックになっていたかどうかは、私としてはまだ判別できないところがあるが、繰り返し使っているように「楕円形のSM/SMテレフォンセックス」という新しい快楽が自分に与えられたのは、思わぬ発見であった。
私は、フィードバックはさておき、ひとまずはこの楕円形SM/SMテレフォンセックスの快楽を追求する道を選ぶことにした。
楕円形SMテレフォンセックスの快楽を高めるために、緊縛師であるサディストのパートナーによって、放置プレイのほうも工夫が施されることになった。
当初は緊縛を終えるとすぐに立ち去るだけであったSMパートナーは、現在は、緊縛が完了して惨めで恥ずかしい全裸をさらしている私のまえにスマホ用の三脚を立てて、そこにスマホを装着してカメラを起動するというオマケをつけてくれるようになった。
SMパートナーは、SM仲間たちだけがフォローしあう秘密の鍵アカに向けて、私の惨めな姿をライブ配信するという実に粋な責めを施してくれたのである。
私の楕円形SM/SMテレフォンセックスは、姿の見えない女王様に言葉責めを要求し、責め立てられる精神的SMに興じる私を、多くのサディストが回線越しにライブ配信として眺めるというパフォーマンスへと発展していき、ひとまずは、そこでの快楽をいかに探るかというフェイズで落ち着きを見せているといえる。
楕円形SM/SMテレフォンセックスの生配信による羞恥プレイというのが、私のこれまでのSMテレフォンセックスには見出すことができなかった新しい快楽の道のりであったことは間違いない。
私は自分自身の最も情けないおぞましい楕円を見せつけるという性的快楽にまで到達したことで、少しだけではあるが、「SMテレフォンセックスによって見つめられたSMによって、さらに見つめ返されるSMテレフォンセックス」という切り返しの感触を掴みつつあるのだ。
私はもう少しこの方向性でSMテレフォンセックスの可能性をわずかではあれど開拓していくつもりである。Hey siri!という呼びかけの声が、私にどのような反響となって返ってくるのか。そして、その響きが私のなかでどのように振動して私を変容させるのかに対する興味は尽きない。